全校朝礼時、「人権講話」を行いました。
12月1日 イソップ物語「ウサギとカメ」を題材に人権講話を行いました。
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまで、かけっこの勝負を挑みました。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまいました。ウサギは少し疲れていたので、少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めます。その間にカメは着実に歩き進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
以上があらすじです。
この物語は、過信、自信過剰にして思い上がり、油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができるというのが、この「ウサギとカメ」のお話の教訓です。
さて、この話の中で、
「ウサギにはいつでも勝てるという油断があり、人生は油断をしてはいけないという戒めである」と思った人、実は0点です。
今日の人権講話はそこから一歩、掘り下げて考えてもらおうと思い、この題材を選びました。
この物語を客観的にみてみると、カメがウサギに勝ったのは、あくまで結果論であって、カメはウサギに、ぐうぜん勝つことができただけだということです。そもそも、この2匹は何故、かけっこを始めることになったのでしょうか。カメはウサギの挑発にのった結果、カッとなって「じゃあ競争だ!」と勝負をもちかけました。カメのほうからかけっこで勝負を挑んできました。ウサギが断る理由はありません。ウサギに対して、カメはとても無謀な判断をしたということになります。
もし、ウサギが寝なかったらこの勝負はどうなっていたと思いますか。カメが勝ったのは奇跡であって、ウサギがゴールする前に途中で寝たというラッキーが起こり、偶然勝ちを得た。ウサギに勝つという秘策が、カメにはあったわけでもありません。カメにあったのは、コツコツ歩くという信念だけです。
問題なのは、ウサギに「のろま!」って言われた言葉に、カメがムキになってしまったことです。持って生まれたものの差を信念だけでどうかしようとするのには土台ムリがあります。挑発に乗ることも、だまって耐えることでもありません。
大事なことは、誰かに馬鹿にされてカッとなったとしても、その感情に支配されないことが大切なのです。相手から言われた言葉にそのまま反発するのではなく、冷静に考えることが大切なのです。自分ができないことを馬鹿にされるなんて経験は、誰にでも起こりうることで、そのたびにカッとなっていたら、取り返しのつかない大惨事に巻き込まれることになるかもしれません。
「のろま!!」ってカメが言われた時、冷静になって、「足の速さでは君に負けるかもしれないけど、カメにはカメのいいところがあるよ」と心の中で一端落ち着けば良かったのです。「君に比べたら足は遅いかもしれないけど、泳ぎは得意さ」とか「僕には固い甲羅がある」と冷静になれていたら、カメも自分の得意なことで勝負していたことになっていたかもしれません。
要は「相手を馬鹿にするヤツの言うことなんか真に受けなくていい!!」とかるく受け流すだけの度量が必要だということです。
生きていれば大勢の人との出会いがあります。気の合わない人もいるし、傷つけられることもあります。まずは、それを知っておくこと。そして、心の中で「自分にはこの人が知らないすてきなところがたくさんある」とつぶやきましょう。そうすれば、人に何を言われようが不思議と気持ちは楽になるはずです。
「ウサギとカメ」のお話から見えてくることは、
①持っている能力は人によって様々、人の数だけ違う。それを見誤ると取り返しのつかない大事になるかもしれない。ただ、どんなに才能があっても努力し続ける人には勝てない。
②相手から挑発されてカッとなって冷静さを失わないこと。
③を馬鹿にした言葉、今であればSNSやLineでのやりとりなどスマホに書き込む言葉は要注意。
例えば、簡単に「死ね!」と平気で書き込んだりしますが、発信する前に一端冷静になって発信して大丈夫なことばなのか。相手が受け取った時にはどんな気持ちになるか、自分がもらったとしたらどのような気持ちになるかを考える必要があるということです。また、言葉に関していえば、自分自身が真に受けなければ、まったく関係ないということです。
④自分がされて嫌な事は人にはしないこと。
そうすれば、みんな幸せに生きられる。
以上で今日の人権講話を終わります。